掲載記事は シュピンドラー千恵子の執筆により、
オートメレビューオフィシャルサイト「安全工学講座」に連載中です。

グローバル時代の生き残り戦略

32) 企業リスクマネジメント 第22話~指導者は現場を知れ~

 安倍首相が就任後、初めて施政方針演説を行った。意味不明の「戦後レジームからの脱却」とは、この国を形作る憲法や教育基本法など、日本が占領されていた時代に制定されたまま半世紀以上経ったものを見直すことだという。教育再生では、「公共の精神、生まれ育った地域や国に対する愛着愛情、道徳心」といった価値観を強調した。

 60年もの年月が流れ、国や国民を取り巻く環境が急速に変化した今、旧体制に温存するのではなく改革を推進すること自体は悪くない。また、自己中心的な言動が目立つ社会生活や、悪質ないじめが顕著化する昨今には、日本人の道徳心を改めて見つめる相応しいスローガンと思える。ただ問題は、戦後の苦労を知らずに育った世間知らずに戦後の総決算が出来るのか、ほとんどの政治家が子育てを母親に任せ現場を知らないのに、何ができるのかという指導力に対する不信感が募ることである。例えば「ゆとり教育」の意味合いの不明瞭さ。土曜日を休みにしたから、教科書が薄くなったから学力が低下するわけではない。学習・授業内容に魅力がなく、子供が学ぶことに興味を持ちづらい環境であるからだ。内容もさながら、教師のリーダーシップ、信頼感も不足していると感じる。授業を受ける権利を剥奪することになるとして、悪いことをした子供を廊下に立たすことはもうできない。挙骨を挙げると体罰だと騒がれ、子供に言われる言葉が「教育委員会に訴えるぞ」。このような知恵をつけたのは大人であり、先生は偉い、先生は怖いという学校におけるリーダー(指導者)の立場を歪ませているのは、実は教育委員会であり、国家管理思考の政治家なのである。

 わが子とロクに会話もせず、たまに会えば説教となる子供の悩みや友達の名前もしらない”父親”集団が教育を政治的に制御できるものでは断じてない。いじめた側の子供に「出席停止制度」を活用するというのも実情をしらない人の発想だ。昔で言ういじめっ子対策ではなく、今のいじめは誰もがいじめる側、いじめられる側になりうるので、そのうち教室に誰もいなくなってしまうであろう。ある時、教育委員会のメンバーを聞いて驚いた。委員長は、経済界出身のお偉方で教育や子育て経験があるとは到底思えない人。その他のメンバーも同様であり人員編成に首を傾けてしまう。多種多様の社会生活を営む異なる親が育てた子供たちを、同一環境で指導していくことは至難の業であろうし、現場を知らずして語れるものはない。しかし教育委員会の方が立場上、上位であり権限を有している。

 また、メディアの発達による情報公害を受け、人と接することが不足している今の子供に必要なのは、社会で生きるためのコミュニケーション能力の向上であり、横の友達、目上の先生との共同生活とともに学習していくものであって、お上からの強制でまなぶものではない。

 よって「教育再生」を施政方針に揚げてくれるのなら、是非、知識人だけでなく、現場の経験者を巻き込んで改革して欲しいと願う。これら方針が野党に反撃、与党に様子見されてしまうのは、世間知らずが起因する自身のなさを見破られているからであり、つまりは指導力がないと発展的に理解されてしまうからだ。だからこそ幅広い経験・知識軍団を味方につけ動かすことで具体案を明確化し、ひるむことなく改革の先頭に立って欲しい。

 これは企業においても同じこと。概ね経営トップは細かいことは知らず大枠しか掴んでいないため、現場との溝ができ易く互いにストレスを生じさせている場合がある。トップは現場の本音を上申してくれる右腕を介して会社の現状を知ることで改善に努め、また現場は自らが宣言した目標や計画をコツコツと達成し、トップの信頼を得る努力を行っていけば、自然といい組織になっていくであろう。こう考えると国家も企業も、やはり指導者の資質がキーである。